2011年3月11日に三陸沖を震源とする地震とそれに続く津波により沢山の犠牲者が出ました。
犠牲者の皆さまのご冥福をお祈りするばかりです。
そして今なお行方不明でいられる方々の一日も早い所在が確認される事を願っています。
私の生まれ育った仙台市も被災しました。
地震と津波による深い爪跡や傷痕は簡単に拭いとる事は出来ない事、
地元の皆も覚悟を決め向き合っています。
皆の「覚悟」は故郷から遠く離れている私には、言葉では理解できても、実際にどれだけの思いを込めたものであるのかは、想像に及ばないものであると思います。
目の前に広がる被災後の風景と、思い出に残る風景を毎日目にし、心に思い浮かべ、途方に暮れる事もあるはずで、そんな中での将来への「覚悟」を目にし聞くと、どれだけ皆は強いんだと、こちらまで背筋を伸ばされます。
そして被災地の皆さんの強さを伝えたポスターを目にしました。
故郷の隣、岩手県から発信されています。
写真家の馬場隆一郎氏と、そのお知り合いの方が「復興の狼煙ポスタープロジェクト」を立ち上げた事は、既に皆さんの知る所ともいます。
被災した方々の「復興へ向け助け合う被災者を全国に知って欲しい」「元気な釜石市の姿を発信したい」、そんな思いを込めたプロジェクトだそうです。
第一弾では13種類のポスターにそれぞれの個別のフレーズが記載されています。
「前よりいい町にしてやる。」
「ため息つかないと決めた。」
「仲間は力だと、わかった。」
「埃も泥も、思い出にする。」
「しおれちゃ男がすたる。」
「続く未来に胸張れるよう。」
「心まで壊されてたまるか。」
「諦めるな、と帆立が言う。」
「夢は勝つ。かならず勝つ。」
「大笑いできるその日まで。」
「もうふじゃけんじゃねえぞ。」
「かわりに気付いた宝もの。」
「かじりついてどこまでも。」
そして
「一緒に悲しむ事よりも、あなたの仕事を一生懸命やって欲しい。 それが沿岸を、岩手を元気にする力になると思うから。」
とすべてのポスターに記載されています。
被災した地元を離れて暮らす私たち家族にとって逆に励まされ下支えしてくれる言葉です。
今では第二弾のポスターが紹介され、
「被災地じゃない正念場だ。」
「瓦礫を踏み台にするさ。」
「野球がしたいです、神様。」
「悔し涙は、嬉し涙にする。」
「そして絆は家族になった。」
第三弾は
「此処でなきゃ駄目なんだ。」
「これからを取り戻す旅。」
「余計な言葉は無くていい。」
「甘くみるなよ、大槌人だ。」
「それでも今日も海を見る。」
「あの日と闘い続けて行く。」
「チョー悲しくなんかない。」
「忘れたいけど覚えておく。」
「頑固者の、出番のときだ。」
「ひとつひとつ咲かせるよ。」
そして第三弾のすべてのポスターには、
「どうか健やかに、どうかあせらずに、どうか、一人一人が見つめ合って。 町がきらきらと蘇るその時は、きっと、いつのまにかやってくる。」
と記載されています。
いつの日か、私を育ててくれた故郷に恩返しが出来るよう、私の出来る事をコツコツやり遂げ成長して行きます。
byお父さん