2011-06-29

日本滞在③成田空港でひと騒動の巻

6月24日夜、シンガポールに到着。
深夜に近い時間帯でもムッとする大気の感触、こんな時間にも関わらず大勢の人。
すかさず帰って来てしまった感でちょっとさみしくなる。(旦那さまごめんなさい…)




旅立つ成田空港でチェックインを済ませた後、ショップをウロウロ。
化粧品をさわってみたり、免税店を覗いてみたり。
搭乗時間まであと15分と言うところで、館内放送が。
“○○便に搭乗予定の○○さん、搭乗ゲート○○番へ至急おいで下さい”
あれ??今私の名前が呼ばれた?
そして再度流れる。
んっ何かあったのかな??
チケットに問題??
起こるはずのないシンガポールに戻らなくても良い希望が沸々と湧いた、、ハハッ。
などなど短い時間でいろいろな思いが頭を駆け巡った。




搭乗ゲートへ行ってみると、
“スーツケースの中に花火がありませんか?この辺りにです”
とスーツケースに指をさされた。
ひぇっ訳が分からないまま、スーツケースを開けて中身をチェックされました。
スーツケースを他人の前で開けるってさすがに恥ずかしいです。
だっていろいろなものが詰まっているのですもの。
半分以上は今回買った貴重な日本食と本やら雑誌たち。
ははっ。
さっそく怪しいと思われる位置を掛かりの方が確認すると、なんとそこには













“20本の歯ブラシ”












なんだよーー大量の歯ブラシが花火と疑われいたのでした!
でも花火が仕掛けられてなくて良かった??
思わず仕掛けられていたかと想像していました。
長細いものはかなり疑われるらしいのです。
しかしながら、一時帰国の時はいつも大量の歯ブラシを買って帰るのですが、指摘されたのは初めてでした。
なぜに歯ブラシ?と思われる方も多いかと思いますが、こちらで扱っている歯ブラシはどれもヘッドが大きくて合わないのです。
そして歯磨きに時間を費やす主人と息子。
おそらく毎度5分以上は磨いています。
だから歯ブラシ消費率が高いのです。
そして歯磨き粉も日本のお気に入りの物を大量に持ち帰っています。
シンガポールへ出発出来なくなる甘い希望は叶いませんでした~!
という訳で
また日常が始まってしまいましたいます。

PS:機内はまたガラガラでした。
282名のシートが70名あまりしか搭乗しなかったとのこと。
私はビールとトマトジュースを頂戴して、レッドアイにして頂きました。
その後は5列シートを独占して爆睡。
そんな私をよそに息子は2列シートを独占して、映画を見ながら爆笑していました。
byママ

日本滞在②

みなさま仙台滞在中は本当にお世話になりました。
無事にシンガポールに戻りました。
仙台は梅雨の前で、連日朝から青い空の日ばかりでした。
日々太陽に守られている感じがしました。
そして強いエネルギーを注いでくれているように思えました。



帰国時は友人や知人に会う事が出来ました。
再会した途端、目に涙をいっぱいためていた友人もいました。
みんなといつもとは違う気持ちで再会する事になってしまいました。
みんな口をそろえて言っていた“死ぬかと思った”
という言葉には、本当にあの憎っき地震を恨みました。



津波で被害をうけた町を見ました。
本当に言葉では言い表せない位に悲惨な光景でした。
友人のいとこのお子さん、元同僚のご両親もこの津波で命を奪われました。
この津波さえなかったらと思えて仕方がないのです。



仙台空港






民家







曲がってしまっている電信柱









高く積まれている瓦礫
ショベルカーが小さく見えてしまう。
瓦礫と言ってしまうのが適した表現なのか。
だって、みんなが大切にしていたものばかりなのだから。



この光景をしっかりと目に焼き付けた。
滞在中いまだに小さいながら余震は度々起こっていました。
震災後の日本はいつ、また何が起きるか分らない毎日を過ごしている感は否めない感じでした。
しかし今を普通に生きる事に、みんな感謝している事は間違いないです。
大切な時間使って会ってくれて本当にありがとうと思う。
お金では取り戻せない、大切な人や思い出や時間を奪い去ってしまった代わりに、これからはこの経験を生かして、みんなそれぞれの価値観で生きて行くのだなと思いました。
原発の状況は一向に深刻で心配だけれど、何年掛かっても立ち直ると言っていた友人達。
必ずまた美しい日本が取り戻せることを願いたい。
byママ

2011-06-27

バタムへ出張途中に座礁船を見る。

シンガポール島の南隣にインドネシアのバタム島があります。
此処へは、ハーバーフロントよりフェリーを利用して行きます。
バタム島には私の勤める会社の製品の生産工場がある為、月に数回行くのですが、
今回初めて座礁している船を見ました。
それもコンテナを満載したコンテナ船。




10度位傾いているようで、今にもコンテナが崩れ落ちそうです。
引きずり出すにもコンテナ満載で重いので困難だろうし、
更に傾いてしまったら、コンテナが落ちてくるだろうし、
どうやって座礁したコンテナ船を救出するのでしょう。

ところで、バタムには現在、日本人会が存在しています。
2011年6月22日現在で、
法人会員:38社(129名)
個人会員:5名
の会員がいます。
この合計数134名+@がバタムに滞在している日本人数と考えて良いでしょう。

この島にも結構な日本人がいるんだなー、と思っていたら、
やはり、そんなことはありませんね。

この島の広さは、シンガポールや東京都とほぼ同じ広さの約715平方キロメートル。

在シンガポール日本大使館にへのシンガポール在留届を出してる数、
23,279名(2009年10月時点)。

シンガポールの1平方キロメートル当たりの日本人数: 約33人
バタム島の1平方キロメートル当たりの日本人数:  約0.19人

参考までに、2011年3月31日現在でバタム島の人口は
1,081,527人(男性:558,461人、女性:523,066人)
小学校:294校
中学校:109校
高校:  82校
だそうです。

Byお父さん

シンガポールの新車登録数

シンガポールでのメーカ別新車登録数とその順位が発表されました。

何でも、2011年5月度の新車登録車数順位とその数は

1位: BMW      436台
2位: Mercedes Benz  301台
3位: トヨタ       229台

そして2011年1月から5月までの5ヶ月間の総合新車登録車数順位とその数も

1位: BMW:     1,890台
2位: トヨタ:     1,708台
3位: Mercedes Benz: 1,503台

更に、2010年度新車総登録車数の上位3位も上記のように3社で占められています。

1位: トヨタ:     6,927台
2位: BMW:      4,708台
3位: Mercedes Benz:  4,705台

高級車として有名なBMWやMercedes Banzが上記それぞれの分類で
上位3社の内、2社で占められている現状を知ると、その理由は何なのか気になります。

シンガポールでは「5C」なんて言葉を聞きます。 
何でもステータスを表す言葉のようです。

Condominium(公団住宅ではないマンション)
Car(車)
Credit Card(クレジット・カード)
Career(学歴)
Cash(現金)

シンガポールでは車を持つ、高級な車を持つ事もステータスの1つと考えられている様なので、
このような現象も起こるのでしょうか?。。。

それとも所得の多い人少ない人の割合の差が以前にもまして開いているのでしょうか。。

年間の新車総登録数は2006年を境に減り続け、
2010年には2006年の約35%までに減っちゃいました。

2006年: 117,062台
2010年:  42,002台

より詳しい情報はこちらで;

メーカー別月別新車登録台数(2011年1月から5月まで)
http://www.lta.gov.sg/corp_info/doc/M03-Car%20Regn%20by%20make.pdf

メーカー別年間新車登録台数(2000年から2010年まで)
http://www.lta.gov.sg/corp_info/doc/MVP02-2%20(New%20Cars%20by%20make).pdf 

byお父さん

2011-06-25

復興の狼煙プロジェクトを知り。

2011年3月11日に三陸沖を震源とする地震とそれに続く津波により沢山の犠牲者が出ました。
犠牲者の皆さまのご冥福をお祈りするばかりです。
そして今なお行方不明でいられる方々の一日も早い所在が確認される事を願っています。

私の生まれ育った仙台市も被災しました。
地震と津波による深い爪跡や傷痕は簡単に拭いとる事は出来ない事、
地元の皆も覚悟を決め向き合っています。
皆の「覚悟」は故郷から遠く離れている私には、言葉では理解できても、実際にどれだけの思いを込めたものであるのかは、想像に及ばないものであると思います。
目の前に広がる被災後の風景と、思い出に残る風景を毎日目にし、心に思い浮かべ、途方に暮れる事もあるはずで、そんな中での将来への「覚悟」を目にし聞くと、どれだけ皆は強いんだと、こちらまで背筋を伸ばされます。

そして被災地の皆さんの強さを伝えたポスターを目にしました。
故郷の隣、岩手県から発信されています。
写真家の馬場隆一郎氏と、そのお知り合いの方が「復興の狼煙ポスタープロジェクト」を立ち上げた事は、既に皆さんの知る所ともいます。

被災した方々の「復興へ向け助け合う被災者を全国に知って欲しい」「元気な釜石市の姿を発信したい」、そんな思いを込めたプロジェクトだそうです。

第一弾では13種類のポスターにそれぞれの個別のフレーズが記載されています。
「前よりいい町にしてやる。」
「ため息つかないと決めた。」
「仲間は力だと、わかった。」
「埃も泥も、思い出にする。」
「しおれちゃ男がすたる。」
「続く未来に胸張れるよう。」
「心まで壊されてたまるか。」
「諦めるな、と帆立が言う。」
「夢は勝つ。かならず勝つ。」
「大笑いできるその日まで。」
「もうふじゃけんじゃねえぞ。」
「かわりに気付いた宝もの。」
「かじりついてどこまでも。」
そして
「一緒に悲しむ事よりも、あなたの仕事を一生懸命やって欲しい。 それが沿岸を、岩手を元気にする力になると思うから。」
とすべてのポスターに記載されています。
被災した地元を離れて暮らす私たち家族にとって逆に励まされ下支えしてくれる言葉です。

今では第二弾のポスターが紹介され、
「被災地じゃない正念場だ。」
「瓦礫を踏み台にするさ。」
「野球がしたいです、神様。」
「悔し涙は、嬉し涙にする。」
「そして絆は家族になった。」

第三弾は
「此処でなきゃ駄目なんだ。」
「これからを取り戻す旅。」
「余計な言葉は無くていい。」
「甘くみるなよ、大槌人だ。」
「それでも今日も海を見る。」
「あの日と闘い続けて行く。」
「チョー悲しくなんかない。」
「忘れたいけど覚えておく。」
「頑固者の、出番のときだ。」
「ひとつひとつ咲かせるよ。」

そして第三弾のすべてのポスターには、
「どうか健やかに、どうかあせらずに、どうか、一人一人が見つめ合って。 町がきらきらと蘇るその時は、きっと、いつのまにかやってくる。」
と記載されています。

いつの日か、私を育ててくれた故郷に恩返しが出来るよう、私の出来る事をコツコツやり遂げ成長して行きます。
byお父さん

2011-06-22

日本滞在①

久し振りの更新です。
息子の休みを利用して一時帰国しています。
今回の一時帰国はいつもと違う気持で日本へ入りました。



日本行きの空港のラウンジはガラガラ

搭乗案内はありませんでした。
機内へ入りたい方は勝手にどうぞと・・・こんなの初めてです。
もちろん機内はガラガラ。
5列シートを独占。横になりました。



成田空港は節電でライトダウン

でも慣れるとなんでもないんです。
今までが明る過ぎたかもと思えてくるほど。



仙台市の街中はすっかり通常を取り戻しています。
もちろん、赤札を貼られ退去している建物や修繕している建物も多いですが。





友達と会っていたり、ふと街中を歩いている人を見ると、肉眼では見ることが出来ない心の中を思わず想像してしまう。
みんなそれぞれあの3月11日を経験して、乗り越えて来たのだなと。
いろいろな物をなくし、いろいろな感情が沸き起こって。
でもこうして今を生きている。
あの瞬間は今は過去になっているけれど、あの時からみんなあらたな思いを持って生きているのだろうなと。
byママ